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六甲山鷲林寺弁財天前橋
2015.05.03

西宮市鷲林寺町(じゅうりんじちょう)4

橋長:2.4m
橋幅:1.2m
桁3列
単径間桁橋




鷲林寺略縁起
「當寺は人皇五十三代淳和天皇の勅願にて天長十年(833)弘法大師空海により開創された真言宗の寺院です。
観音霊場を開こうと地を求めて旅をしていた大師が廣田神社に宿泊されていたとき、夢枕に仙人が現れこの地を教示されました。それに従い入山したところ、途中でこの地を支配する『ソランジン』と呼ばれる大鷲が現れ、火焔を吹き大師の邪魔をしました。大師は木の枝を切り、湧き出る清水にひたして加持をし、大鷲を桜の霊木に封じ込めました。その霊木で本尊十一面観音像並びに、伽藍守護神として鷲不動明王を刻み、寺号を『鷲林寺』と名付けられました。
また、大鷲に化けた『ソランジン』は麁乱荒神としてまつられました。その後貴族寺院として大いに栄え、盛時は寺領七十町歩・塔頭七十六坊の大寺院に成長し、その寺領が鳴尾地方にまで及んでいたことが古文書などによって伺えます。しかし、戦国時代に入り寺領は侵略押収され、天正六年(1578)十一月に荒木村重の乱が起こり、それを期にに翌七年織田信長軍のために諸堂塔はすべて焼き滅ぼされてしまいました。本尊をはじめとする仏像は瓶に入れ地中に埋め隠されていたため兵火から逃れることができました。
後に掘り出され小堂宇を建立し観音堂としましたが、その後も幾多の山津波や火災に遭い、無住の時代が長く続きました。昭和の時代に入りようやく復興され始め現在に至っています。
また時期は不詳ですが、武田信玄公が僧侶になるため得度をし、その頭髪を埋めたという伝説がある七重の石塔があり、西宮市の丈化財に指定されています。」
弁財天前に架かっています

側面