八幡橋
「橋柱なしのこのアーチ式の橋は、側面両側に鶴と亀を陽刻してあるので鶴亀橋とも呼ばれており、八幡村の豪農印部喜与門によって造立寄贈された。
当時重要官道に架かっていた八幡橋が出水の度に破損、交通の途絶する事を憂い、私財を投じて播磨の家島と小豆島から石を運び、津名都の井高政吉を石匠として明治10年9月1日着工、エ事日数137日、工数延べ1326人を要し明治11年1月17日落成した。
諸経費のうち、県からの下付金は67円91銭3厘で、印部喜与門の負担は619円40銭5厘(当時の米価、1石4円80銭)を要した。
この八幡橋も竣工後93年の昭和45年の改修で現在地に移転、明治の文化遺産として保存されている。
※総御影石造り太鼓橋(めがね橋)
石工 江井浦井高政吉・井高金蔵
長さ 4間半(8.15m)
高さ 2間2合5厘(4.07m)
幅 2間半(4.53m)
(三原郡史より)」
南あわじ市教育委員会 |