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御坂サイフォン橋
2011.05.21

三木市志染町(しじみちょう)御坂(みさか)

志染川
橋長:52.4m
架設:1891(明治24)年
淡河川疏水




御坂のサイフォン(眼鏡橋)
「御坂のサイホンは、淡河川(神戸市北区淡河町)から加古台地への引水のために淡河川疏水工事が、明治21年(1888)から明治24年(1891)にかけて施エされたとき、山から志染川を経て向いの山へ導水するために造られたものです。山から川を通って向かいの山へ水を運ぶこのエ事は、わが国初のサイホン(噴水管)工法が用いられました。当時としては画期的な大事業で、御坂神社の前を流れる志染川の清流にかかる部分は、眼鏡橋として親しまれています。
淡河川疏水は、疏水としては琵琶湖疏水(滋賀、京都)、安積疏水(福島)とともに“三大疏水”に数えられるものですが、大きな特色は他の二つの疏水が国策として建設されたのに対し、淡河川疏水は地域住民が自費で完成させようとしたことです。なお、サイホンの設計は、わが国初の横浜近代水道を建設し、神戸近代水道の計画書をつくったイギリス陸軍少将ヘンリー・スペンサー・パーマーによるもので御坂のサイホンは何度か改修されましたが、眼鏡橋の姿は今でも周囲と美しい調和を保っています。」

「御坂サイフォンは、志染川の谷に淡山疏水の水を渡すため、1891(明治24)年に設置されました。
 田辺義三郎(内務省)は、柏谷素直(兵庫県)とともに調査・検討を行い、山田川から淡河川へ水源の変更を提案しました。そして英国人技師H.S.パーマーの助言を得て、英国製の軟鉄管を用いることになりました。
 1953年に設置された二代目の鉄管は日本製です。この時、鉄筋コンクリート製の新しいめがね橋(下流側)が造られました。
 1992年に設置された三代目も日本製で、地上部はダクタイル鋳鉄管です。橋や地下の部分では二代目の鉄管の中に強化プラスチック管が設置されています。
※呑口水槽と出口水槽との高低差(245m)を利用して水を送る仕組み」
 左側、通行止めの部分は1891(明治24)年に架設された石橋部分、右側は1953(昭和28)年に架設されたコンクリート部分

この水量なら下流側から上流側まで行けそうです

下流側

右岸側から橋脚

拱頂部

上流側橋脚

上流右岸側

上流左岸側

左岸側