平木橋の概要
「平木橋のある水足地域は、古来より農業用水の確保に苦労してきた地域のため、明治44年に印南野大地への灌漑対策として着手した山田川疏水事業に参加しました。平木橋は、この疏水の最末端地域の一つである新田(約20haへの導水のため建造され、平木池(昭和41年埋立て、現在宅地)に送水していましたが、疏水事業の末端に位置することから、水量不足のため、貯水池としての機能が発揮できず、昭和24年頃には使用されなくなりました。
しかし、東播磨南北道路の建設に伴い再び脚光を浴びると、近代土木遺産として高く評価されたため、兵庫県と加古川市は、橋の移設保存工事に着手し、平成22年3月、工事は無事完了しました。
平木橋は、花崗岩の輪石を長手、小口と交互に積み重ねたアーチと、煉瓦を長手と小口に交互に組み合わせたイギリス積で橋璧を形成し、その上に通水路がある水路橋です。
水路側壁には、石の銘板が嵌め込まれており、北側には『平木橋大正四年九月架之」、南側には当時では珍しく「HIRAKI AQUEDUCT BUILD SEPT1915』と英語で陰刻されています。設計書、使用材料の産地等は不明ですが、輪石下面に中一色村(稲美町)、大野村(加古川市)など工事請負者の所在を示す陰刻があり、周辺地域の人々が建設に携わっていた事が分かります。」 |