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大通寺庭園太鼓橋
2010.01.03
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小田郡矢掛町小林
橋長:m
橋幅:m
単径間円弧桁橋
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備中矢掛 高峰山大通寺由緒
「当寺は天平15年、高峰山山頂に承天和尚(東大寺三綱)が観音菩薩を安置し大通寺を開創した。また承天和尚は高峰山山麓に思松を植樹した。康和元年(1099)佛師慶禅作の不空羂索観音を安置した。(平安後期の仏)
鎌倉時代初期、後鳥羽院の勅願寺として霊松の現在他に移転した。そして“むら雨の山路をすぎて笠置の名より高根の松ぞすずしき”の御製を賜わり“笠置の松”と称されていた。
永享元年(1429)、月渓良掬禅師きたって曹洞宗寺院とし伽藍をととのえた。文明年間(1470年代)、二世宝国慈珍大和尚(総持寺319世)、また安政年間(1850年代)、二十七世汝揖良弼大和尚は大本山総持寺に普住した。
文禄3年(1594)林松和尚の時、当国大守毛利黄門輝元公眼病平癒の祈願をし寺領14石3斗の寄進をうけ毛利家の祈願所となった。そして毛利元清により伽藍が再興された。その頃『観音様のおつげで翁婆が寺にまいり茶釜をもらって帰った。
茶店をひらくと、くめどもくめどもいい湯が“ぶんぶく”とわき有名になった。』後に寺では“千人茶会”を開いて勝縁を結び、分福茶釜の話となった。(岡山文庫−岡山の笑話)
貞享4年(1687)備中国観音霊場第22番札所となった。御詠歌“小林の寺の桜はさきぬらん高き峰よりかかる白雲”
近世後期には京都伏見宮家の祈願所となった。
格式は末寺15ヶ寺をもつ『小本寺』格式で、曹洞禅進出の一拠点となった。以上の如く大通寺は千二百余年の歴史をもつ古刹である。
建築物は、地蔵堂<延宝5年(1678)作 地蔵尊>、境内に仁王門、山門(十六羅漢)、本堂、開山堂(開山項相=室町期作)が直線に並び、観音堂、座禅堂<宝暦9年(1760)建立、二方単、来迎柱などの特色>を回廊で結び、近世曹洞寺院の様式をよく伝えている。
平成8年、中国地蔵尊霊場第五番札所に指定され、巡拝者を迎えている。」 |
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最初の門をくぐり
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寺域に入ります
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山門をくぐり
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高峰山を借景とした庭園の拝観をお願いしました
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庭園の太鼓橋 |
大通寺庭園 岡山県指定名勝
庭園の視点
「背後に高峰山を控えて上部から下部の書院に向って滝、流れを落している。中央開山堂のほぼ真北あたりの築山の上部に剛健な釈迦三尊石、須弥山石組を配し、築山下部、滝を中心に集団石組を構成し、力強い景観となっている。池泉は瓢箪形で一枚石の石橋、亀出島を意匠している。こうした集団石組が全体に広がって絵画的意匠となり、庭園全体に大きい躍動感を与えている。
時代・・江戸時代末期 19世鉄春代
寛政5年(1793)〜文化10年(1813)
作者・・中西源兵衛(矢掛住)
様式・・池泉観賞式庭園
場所・・本堂裏(書院裏・開山堂)に南面
面積・・二百余坪」 |
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