和気神社
2009.12.05
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和気郡和気町藤野
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和気神社
「御祭神は(鐸石別命・弟彦王命・和気清麻呂命・和気広虫姫命)など和気氏一族九祭神である。
鐸石別命は垂仁天皇の皇子で、今の曾孫弟彦王が軍功によりこの地に土着し、一族は備前・美作に栄えた。
弟彦王の十二代の孫が清麻呂公・広虫姫姉弟であり、ともに朝廷に仕えた。
清麻呂公は、奈良時代から平安時代の転換期に大きな役割をはたした人物で、なかでも銅鏡事件・平安遷都などでの活躍は有名である。
広虫姫は、戦乱による多くの弧児を養育し、その仁愛慈育の生涯は女性の鏡と称えられた。
当神社をはじめ、和気氏にまつわる史跡を訪ね、当時を思い起こしてみたいものである。」 |
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せっかくですから和気神社にも立ち寄ってみます
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和気清麻呂公の像について
「この清麻呂公像は、高さが四・六三メートルの青銅製で、高さ一・八メートルの台座の上に建てられています。
像は、明治・大正・昭和にわたり、わが国彫塑界で活躍された故朝倉文夫氏が、自己の信念をこめて製作されたもので、昭和十六年、当時の彫塑界ですでに長老的存在となっていた氏の五十九歳の作品です。
それは、紀元2,600年奉祝展覧会に出品された後、橿原神宮に献納され、大和国史館で一般展示され、戦後は現在の奈良県立橿原考古学研究所付属博物館(旧館)に所蔵されていましたが、清麻呂公生誕1250年を記念する年にあたり、奈良県と朝倉氏ご遺族のご厚志により、清麻呂公の故郷である和気町に譲与されました。そこで和気町では、石膏像であるこの作品の永久保存と同時に、清麻呂公の顕彰をはかるため、銅像として、この地に建立すること
としました。
町民こぞって、郷土を愛した清麻呂公の里帰りを祝福し、像の建立をよろこび合い、ご尽力いただいた多くの方々に感謝の意をこめて、その経緯をここに記します。」
和気町長 |
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入口の和気清麻呂公像
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和気清麻呂公と猪
「銅鏡一味に追われながら、宇佐八幡宮へお詣りしようとした清麻呂公を、三百頭の猪が守護し目的地まで無事ご案内したという故事(日本後紀・巻八)による。
以来、公を守護し災難を救った猪は、厄除開運(災い除け・厄払い)の霊猪として、信仰されています。
猪と縁の深い当社では、“狛いのしし”を拝殿前と随神門前に安置しています。」 |
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拝殿前の狛いのしし |