愛染寺(あいぜんじ)鐘楼門及び仁王堂
「愛染寺鐘楼門及び仁王堂は、境内の南西に位置し、旧出雲街道に面して建てられている。建立時期は、棟札の写しに記される正保元年(1644)と推定される。建築の形式は一間一戸の楼門で、屋根は正・背面に唐破風が付く入母屋造の檜皮葺きである。門の左右には唐破風造の仁王堂が付属している。
両側に仁王堂が取り付くこのような構成は、両山寺鐘楼門(美咲町)があるものの、美作地方でも稀少であり、建立年代が江戸時代前半に遡れる点でも貴重な建物である。さらに、主要な部材に桜を用いていることも建築的な特徴の一つとなっている。
愛染寺の創立は、慶長十年(1605)と伝えられ、かつては金剛寺と称していた。明治九年(1876)の火災で、本堂を含むほとんどの建物を焼失したが、この建物は境内の東南の門とともに延焼を免れた。火災以前の境内絵図によれば、門の北側正面、現在の大師堂の位置に本堂が建てられていた。
鐘楼門及び仁王堂は、昭和三十九年(196)に津山市の重要丈化財に指定されたが、建物の各部に損傷が目立ってきたため、平成十三年〜十五年度にかけて解休修理工事を実施した。修理に伴う調査では、江戸時代に小屋組や軒廻りの大規模な補修を受けているほか、大正から昭和にかけて数回、部分修理や屋根葺替を行っていることが判明した。さらに屋根裏から柿板が発見されたことから、屋根が柿板であった時期もある。
近年、前面道路の高さが上がったため、雨水が境内に流入して建物の基礎部分を腐朽させていたので、今回のエ事で地盤を当初よりおよそ二十センチメートル嵩上げした。
また、建物や修理にあわせて仁王像二体の部分修理を行ったところ、胎内の墨書から万治元年(1658)にこの像が制作されたことが明らかとなった。なお、現在の梵鐘は昭和三十年(1955)に造り直したものである。」
平成十八年九月
高野山真言宗愛染寺
津山市教育委員会 |