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軽部神社前橋

2010.01.03

総社市清音軽部

橋長:2.0m
橋幅:6.8m
単径間桁橋




軽部神社(王子の宮)の由来
「建武元年(1334)福山城主大江田氏が、紀伊の国牟婁郡熊野(三重県熊野市)より、速玉男命。事解男命。伊弉諾尊。の三神を移して軽部山の嶺に社殿を創立して祭り、祈願所とした。
 その後、建武三年(1336)足利直義が、福山城の大江田氏を敗り、社殿も焼失した。
 寛正三年(1462)深井城主加藤正倫四代の孫正長、社殿を旧跡に建てて三神を祭り、社号を若一王子権現と称した。
 その後、幸山城主石川氏が祈願所として祭典を行ってきたが、天正三年(1575)兵火により、ことごとく焼失した。
 毛利輝元の所領の時、信徒、氏子が集まり協議して、天正四年(1576)社殿を再興し、以前からの三神に、天照大神。国常立命の二神を併せ社名も五社王子権現と改めて祭っていたが、この宮が山頂の山陽道を見下ろす位置にあり、通行人や、参勤交代の諸公に、神の戒めがあるということで、延宝六年(1678)現在の位置に移転造営した。
 明治二年(1869)社号を軽部神社と改める。氏子は、普通“王子の宮”(王子様)と言う。」
軽部神社前の軽部川に架かる垂乳根橋はコンクリート製

社務所でしょうか?その前に架かっています

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