井山宝福寺
2010.01.02
|
総社市井尻野
|

|
井山宝福寺
「井山宝福寺は、臨済宗東福寺派の中本山で七堂伽藍が完備されており、地方では珍しい巨刹といわれております。なお、この寺は天台宗の古刹であったものを近在、真壁郷出身の名僧鈍庵和尚が、貞永元年にこの地に伽藍を建立し禅宗に改めたと伝えられております。また、雪舟の鼠の伝説も残されております。」 |
 |
2日目は雪舟で有名な宝福寺からスタート
|
 |
右手に方丈
|
 |
仏殿
「この建物を仏殿といい、別称『法堂』(はっとう)といいます。當山の御本尊虚空蔵菩薩を安置しています。凡そ三百年前当地豪族薬師寺次郎左衛門が“力乞い”のため刻んだと伝えられる霊験あらたかなる仏様です。そもそも虚空菩薩は智恵と福徳をお授けくださる仏様であり、丑年と寅年生まれの人の守り本尊とされており、十三才には智恵を授かりにお参りを行う“十三参り”が行われています。
正面の額“祈祷”は、後水尾天皇の御直筆です。
天井の龍の画は望月派の大家鼇山(ごうざん)和尚(250年前)筆の盤龍であり直径六メートル顧子雄渾を極め、当初夜々出でて白蓮池の水を呑み、里人がこれを恐れたので龍の目に釘を打ちこれを封じたと伝えられて俗に“水呑みの龍”と呼ばれています。」
|
 |
雪舟碑
「雪舟等楊禅師は約500年前の人であり、総社市赤浜に生まれ、12歳の時当山に入門し小僧となりました。天性画を好み経巻を事とせず、遂に師僧の怒りに触れて方丈の柱に縛られ、落つる涙を足の親指につけて板敷に鼠の絵を描いたということは有名な伝説です。
この碑は昭和3年の建立であり、材は仙台石、高さ4.5m、幅1.4m、厚み36cm。碑面を三段に分ち、上段の円相内は雪舟の自画像、中段は雪舟筆宋の育王山の全景、下段は藤井高尚の撰文、頼山陽の筆になる碑文であり、画聖の雪舟、国文学の泰斗たる高尚、漢文学の自眉たる山陽という三代文化人によって成る碑であるため、“三絶の碑”と呼ばれています。」
|
 |
三重塔
国指定重要文化財
「様式は室町中期の特色を有する代表的建造物といわれ、凡そ六百年前のものであります。幸い、天正年間の兵史にも免れ、再三の修復を経るも当時の形式を踏襲し、その特質を損することなく保存され、昭和二年国宝の指定を受け、その後特別保護建造物となり、戦後、重要文化財と改称されました。
木造建築ゆえ白蟻の害と六百年の風雪に堪えかねて、昭和四十二年解体修理に着手し、昭和四十四年十月竣工しました。山内第一の古建築が外見上最新の建造物となりました。
塔内一層には須弥壇を設け大日如来と脇侍四天王を安置し天井には約二百五十年前の人で鼇山和尚筆の天女の絵があります。」
|
 |
雪舟
「総社市の赤浜に生まれた雪舟は少年の頃から仏門に入り、井山の宝福寺で修行中、本業を忘れて絵ばかり描いていたので、和尚さんに叱られ、柱に縛られてしまいました。それでも雪舟は落ちた涙で床にネズミの絵を描き続けました。これを見た和尚さんは、その情熱に感心し、絵を描くことを許したと伝えられています。
その後、志を立てた雪舟は京に上り、さらに中国へ渡って禅と絵の勉強に励み、ついに国宝『四季山水図』などの数多くの名画を残し、世界的な画家となったのであります。」 |
 |
|