6,098
常川樋門

2011.12.31

岡山市南区西高崎

幅:3.8m
径間:2.75m
拱矢:0.62m




児島湾開墾第一区の樋門群 岡山県指定建造物
(片崎樋門、常川樋門、宮川樋門)
平成20年3月7日指定
「明治前期に士族授産事業として計画された児島湾開墾は広大な干潟を農地に転換する大土木工事であった。県令高崎五六は内務省に具申し、招聘されたオランダ人一等治水工師A・T・L・R・ムルデルに諮問した。明治14年(1881)に提出された復命書によって基本計画が策定されたが、実行に移されることはなかった。
 紆余曲折を経て、政界等に太いパイプもつ政商藤田組の藤田傳三郎が請け負った。しかし、県令と県会の軋轢や干潟漁民への補償に絡む裁判の長期化等で起工は明治32年と遅れ、ようやく同38年に竣工した。
 樋門群は、藤田組の顧問技師だった笠井愛次郎博士が設計したもので、通水部に煉瓦造アーチを採用し、規格的に加工した石材を使用しつつも地元産の花崗岩をふんだんに用いた。傘灯籠の樋柱を備える等近代和風の意匠が特徴的である。」

平成22年3月
岡山市教育委員会
前回回り切れなかった常川樋門

南西側

内部は煉瓦

北東側

上部