宮川樋門
「この樋門は、児島湾干拓の第一期工事第一区分(旧灘崎町西高崎・玉野市東高崎の計四百六十六ヘクタール)の工事(明治三十二年〜明治三十八年)の際、建造された三樋門・(東から宮川・常川・片崎)・の一つです。
当時、内務省土木局一等治水工師であったオランダ人のA・T・L・Rムルデル氏が基本計画し、建造されたものです。
正面高さ約五・三メートル、正面幅約十一・五メートル、水路幅一・八三メートル、高架部奥行三・六メートル、高さニ・ニメートル、開口部までの全長約五・九メートルの切石・煉瓦造りで、排水口天上部がアーチ形を呈しています。
干拓地の田植えの際、農業用水の調整に使われていました。
私達は、先人の血と汗の結晶である干拓事業の象徴として、この樋門を末永く大切に保存して、後世の人々に伝達していきたいと思います。
なお、本文中に用いた数値は、現状での計測値であることを申し添えます。」
平成11年3月 |