應徳寺由来
「応永二年(1395年)円光国師が霊験顕たかな薬師如来を祀って開山した。
次の松岩和尚が示寂して絶法。その後僧が去来、伽藍も兵火による焼失・再建など、盛衰を経ながら二百数十年を経過した。
寛丈九年(1669年)撫川藩主、戸川安宣が伽藍を修復・建設などして宗宝禅師を招いて寺を復興した。その後、十一代を経て、心界和尚が文政六年(1823年)来任・定住し、私財を投じて特に興隆発展に尽力された。
明治以降檀家の篤志により、伽藍の増築・修復を重ねて繁栄してきたが、平成四年二月、放火により伽藍を全焼す。
この為、平成七年三月、本堂及び堂宇を、再建して現在に至る。」 |