沖新田干拓史
「元禄五年(1692)一月、岡山藩主池田綱政の命を受け、津田永忠により着手した沖新田大干拓事業は、わずか二年間で築堤・潮止め・疏水を完成し、約二千ヘクタールの大干拓地が造成された。
昭和二十一年(1946)十二月二十一日突如として襲った南海地震は、沖新田に大被害をもたらし、平均五十センチメートルの地盤沈下を生じた。これにより水田は湛水の被害や塩害に悩まされ、農作物の被害は、年々大きくなった。
昭和三十一年(1956)十月、上南土地改良区を設け、大々的な上南干拓工事に着工し、四年の歳月をかけて完成した。
上南地区 干拓面積 三百二十八・四ヘクタール
工事費 三十億一千万円
この工事の完成によって、風物詩としての『堀田』はなくなったが、整然とした美田に生まれかわり、約百ヘクタールの増反となり、農民の悲願が達成された。
ここに、明治四十年(1907)に改修された六番川の『大樋』を復元し、干拓記念碑とした。」 |