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石門別神社参道橋

2009.05.04

岡山市北区奥田

橋長:1.9m
橋幅:1.4m
桁厚:18cm
桁4列
単径間桁橋




石門別(いわとわけ)神社の由来
「この神社は、近世には石神宮、石神社と呼ばれていたが、寛延三年(一七五〇年)十二月大守肥後守を中心とする式内社再興運動が展開されたとき、この宮が古来から延喜式内社であり、祭神は従二位天津石門別神社であることから当時の国司が問岡山平野に石門神社と改号しこゝ田住と大供に祭られたと伝えられる。
 天孫降臨にあたり天岩屋に神こもりし天照大神を天児屋命が神楽を奏し天鈿女命が舞楽をなし天津石別神や手力男命などがおつれ申したと伝えられる、また元明天皇が和銅五年(七一二年)大安摩呂に命じ作られた、我が国最古の古典“古事記”には光華明彩、六合照徹と云われその御威光は広大無辺で宇宙万物を生成化育する御本源であらせられる大日霎貴、別名天照大神が天孫降臨に際し“天津石門別神など”の功績が記され、古くからの伝説にもされている。
 神は人間にとって超越的な存在とされるあるもので宗教的信仰の対象として、原始時代から人々が何らかの不可知なものの存在に気づいたときに発する此の氏神は八世紀以前の時代から、地域の血縁地縁的な集団の精神的統合と社会的連帯の強化の中心として、人々から鎮守さま(別名産土神)として信仰され祭られて参りました。
 人々は自己の神性をとり戻し(ご利益を蒙るの意)社会生活の意義を確め、神威を畏こみ神の恵みを仰いで神の御加護によって(神の顕現発揮という)生きることの喜びえをかみしめ、明日の生産、生活に希望と力を得る源泉としてきました、また境内地の中には武甕槌命を祭神とする石神と呼ばれる石及び“あしおうさん”と呼ばれる足の病を治して下さる石神のほか、末社として若宮、荒神社、注連神社、愛宕社がある、いづれも簡素な建物ながら、その時代その時代の地域住民の連帯意識拠処として引継がれている、ここに由来を記して、あらたかな御神徳を偲ぶと共に広く地域の方々の信仰の拠りどころにして載きたいと念じます。」
石門別神社の前に架かっています

側面

側面