真如庵の由来
「真如庵は帯江第二代の殿様戸川安廣公のご廟所である。位牌堂には、中央に安廣公、左に侍臣角田氏、右に奉行陶山氏の位牌が祀られている。角田氏は戸川家の忠臣であり、陶山氏は帯江新田の開墾人である。
戸川家は戸川達安公が関ヶ原の役の戦功によって、庭瀬で三万石の大名になられ、三男安利公の長男である。
帯江新田は約百町歩、禄高千石の土地で、この干拓は三千石の力では大規模すぎて無理な仕事であったが、財力を傾けつくして宝永四年竣工した大干拓地である。
安廣公がこの開墾を完成されたのが五十四才であったが、五十六才の秋逝去された。
安廣公は帯江新田開墾の祖として住民の敬慕篤く、住民はその徳を慕い公のご廟所を建て、“真如庵殿浄性日覚”として祀られ現在も春秋には法要を勤めている。
はじめ浄性庵と称せられていたが昭和十年身延山法主望月日謙大僧正より真如庵の名を賜り現在の呼称となった。」
真如庵総代会 |