旧倉敷銀行
「倉敷の町では、今でも、この銀行を本店とよぶ人がいる。それは明治年間に大原孝四郎、孫三郎二代に亘っての倉敷銀行本店が、ここにあったからである。
江戸時代、天領の町倉敷は、ゆたかな米の生産に支えられ、倉敷川の舟運を中心に、その河畔が大いに栄えた。
倉敷銀行は、その金融を一手にまかない、倉敷紡績の発展や、大原美術館設立にも寄与し、やがて現在の中国銀行の源流となる。美しいステンドグラスをもつ此の建物は今、中国銀行の一支店として使われているが、建築は大正11年ルネッサンスの様式を備え、当時としては珍しく、いかにも大原孫三郎の気宇を窺うに足るものと思われる。」
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