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阿智神社階段脇橋

2012.01.01

倉敷市本町

橋長:1.4m
橋幅:0.4m
単径間円弧桁橋




阿智神社の杜
「一、磐境、磐座、鶴亀の石組(古代庭園)陰陽石
この神社には磐境、磐座のほか蓬莱思想にもとづく鶴亀の石組、陰陽思想的な磐座が遺され、日本庭園に於ける石組の起源を探る貴重な存在として注目されている。
 四世紀以後の大和朝廷は朝鮮半島と密接な関係をもつようになり、古記録によると応神天皇の時代に東漢氏の祖先とされる阿知使主とその子都加使主が十七県の漢人を率いて帰化したと書かれており、その一部がこの地方に定住したものらしい。この神社が阿知使主族の奉斎するものであることは和名抄に阿智の明神と記されていることからも推定できる。
 このあたりは備中府志等によると阿知潟、社記には吉備の穴海と称される浅海で、その中の小島に漁民が社殿を奉祀したとある。彼らは帰化するにあたってその帰属意識を明らかにする為、日本に古来から伝わる磐座や磐境を設け、更に彼ら民族の先進的文化を盛り込むべく中国から伝来した鶴亀の神仙蓬莱思想や陰陽思想を導入したものといわれている。
 これら石組は現在本殿の向かって右側の磐座と磐境、左側の鶴石組と亀石組及び北側に続く枯れ滝式石組、斎舘北側の陰陽的な磐座に見ることが出来る。
文、配置図−東京農業大学農学部造園学科 助教授河原武敏先生
生命力、生成発展、豊穣への信仰
木殿西脇に戌亥(北北西)の方向へ一線に連なる磐境(鶴亀の石組−古代庭園)、荒神社(荒魂の杜)、阿知の藤(天然記念物)は古来生命力、生成発展、豊穣と深く関わる信仰の場となっている。
 東坂の石段が里より米寿段、還暦段、厄除段を経て随神門の七投、拝殿の五段に達し、荒魂の三段で生命カの根源に達するとするのも亦同じ古伝承に基づくものと思われる。」
今年の初詣は阿智神社です

階段途中にあります

奥から