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神護寺本堂下橋

2015.11.14

笠岡市甲弩

橋長:m
橋幅:m
単径間桁橋




長尾山神護寺 市指定史跡
「甲弩字山手にある神護寺(真言宗)は、境内の全域が史跡として指定されている。
 神護寺は、もとは神宮寺と呼ばれており、古くは大坊・中坊・般若坊・正円坊・長福坊・上学坊の六坊を有した大寺であった。天正十四年の刻銘がある古瓦に千手坊とも刻んでいる。
 その後六坊のうち長福坊と上学坊は山口に移された。長福坊は今の長福寺となり、上学坊は山伏寺となつたが、廃絶してしまった。
 また、備中誌に『阿部山中に畦寺の跡というところあり、これ神護寺のもとの所在地なり』とあるが、その位置は確認されていない。
 神護寺の現在の本堂は永禄十一(1568)年小田氏の庇護を受けて再建されたもので、市内最古の木造建築である。」

昭和三十五年十二月二六日指定 笠岡市教育委員会
駐車場から

神護寺本堂 岡山県指定建造物
「神護寺はもと神宮寺と呼ばれ、甲怒(弩)神社の別当寺として創建されたと考えられるが、その時期は明らかでない。
 室町時代にはこの地方の領主小田氏の帰依を得ていて、現本堂が永禄十一年(1568)十月に、小田高清を大檀那として建立されたことを証する銘文が棟木に墨書されている。また寺内に、天正三年(1575)年八月十八日死去した高清の位牌が祀られている。
 戒名は孚臺院殿良玄秀郭居士。
 さらに本堂には棟札十一枚があり、その一枚は天正十五年(1587)十月に、高清の子元家らが本堂の屋根を瓦葺きにしたこと、他の一枚は文化三年(1806)四月に、甲弩村の村中を施主として屋根替えを行ったことを記録している。このほか、右の天正十五年の瓦葺きのとき用いたと思える古瓦四枚が残されており、いずれも天正十四年二月に宮内(吉備津神社門前町)の瓦大工五郎左衛門が焼いたと思える銘がある。
 この本堂は市内最古の建造物である。」

平成十三年三月二十三日指定 笠岡市教育委員会

本堂を下ったところ

上り口に架かっています