日渉園跡
広島市指定史跡
「日渉園跡は、寛政・享和年間(1800年前後)頃、広島藩の藩医である後藤松眠が開園した藩営の薬草園跡です。
日渉園の中心には住居と庭園、その周囲には約8,800uの薬草地がありましたが、現在は庭園の一部が残っているだけです。この庭園は上下二段からなり、上段には涸れた池とそこに架かる太鼓橋、“神農堂”とよばれる建物の礎石と台座などが残っており、下段には薬草の研究や薬の調合などを行っていた“薬室”の礎石の一部のほか、涸れた池や眼鏡橋などがあります。また、庭園内に植えられた樹木は、狭いながらも独立した森として周囲の畑地や住宅と一線を画しています。
そのうえ、松眠の子、松軒と交流があった蘭学者高野長英が、幕政批判により“蛮社の獄”で投獄された後、脱獄して4年間の逃亡生活を送っていた際に、本園内の“神農堂”に隠れ住んだこともあります。
広島藩唯一の藩営の薬草園跡という希少性と、近世史に残る高野長英ゆかりの地としての歴史性をあわせもつ大変貴重な文化財です。」
平成8年1月10月 広島市教育委員会 |