鞆の浦
2011.01.22

福山市鞆町鞆




鞆の港
「瀬戸内の中央に位置する鞆は内海の潮の干満の分岐線にあたる。
内海を航行する多くの船はこの潮に乗っての航法であったので“潮待ち”をここ鞆でおこなった。こうしたことが多くの伝説を生み万葉に歌われ中世から近世にかけて歴史上の舞台として度々登場したゆえんである。
明治以後鉄道の開通、汽船の就航等により“潮待ち”をする船もなくなったが、今日もなお当時の港の活況を察知し得る港湾施設がよく残っている。
沖に突出する波止、ここにある常夜燈、雁木という階段状の船つき場、港に面しての豪商や廻船問屋とその土蔵等々江戸時代の港町、鞆の繁栄ぶりを示すものである。
この船着場は文化8年(1811)に築かれたもので、雁木、常夜燈(安政6年-1859-再建)はいずれも花崗岩製である。なおこの船着場に臨む建物は背後の保命酒屋、旧中村家(県史跡鞆七卿落遺跡)に関連するものである。」

福山市教育委員会
鞆には約30年前と、10年前の2回訪れていますが、当時は石橋には全く関心がありませんでした。今回はじっくりと探索

太田家住宅・太田家住宅朝宗亭・鞆七卿落遺跡
「維新の夜明けも近い1863(文久3)年8月18日、尊皇攘夷を主張する三条実美ら7人の公家は、公武合体派に追われ都落ちをしました。一行は、ここ旧『保命酒屋』に立ち寄り、その時、三条実美は、保命酒(竹の葉と表現)をたたえる和歌を残しました。主屋の太田家住宅と向いの『朝宗亭』は、18世紀中頃〜19世紀初期の建物であり、共に国の重要文化財に指定されています。
世にならす
 鞆の港の竹の葉を
斯くて嘗むるも
 珍しの世や」

町並み

鞆の浦の夕暮れ

弁天島、仙酔島方面