倉敷美観地区
2006.04.09

岡山県倉敷市中央1丁目




倉敷案内
「瀬戸内海の隆起作用と高梁川の沖積作用は鶴形山を中心とする浅海(現市街地)を徐々に陸地として、室町時代(1400年代)には、漁村集落となり、文禄、慶長の役(1592年)には、100人余の水夫(船員と同時に海軍でもある)を参加させるまでに発展した。(トンネルから倉敷川までを水夫屋敷といった)寛永19年(1642年)徳川幕府の天領となり、倉敷代官が設置されて以来227年間(明治維新まで)その支配地は備中備後、美作及び讃岐の一部(10数万石)におよんだともいわれ、その庇護のもとに特異な発展をとげた。ことに倉敷川は天領の米、その他の諸物資を輸送する舟運の重要水路をなし沿岸の町割、商家土蔵、荷揚場など当時の遺構をそのままとどめている。
 ことに(民家)本瓦葺、なまこ壁(貼瓦)倉敷窓、倉敷格子など倉敷の特色をよく保存しておりこの一帯の町家の家並は江戸時代の遺構として数少ない景観を呈している。」

倉敷市


以上 2006.04.09撮影


2012.01.01撮影