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長川寺門前橋
2009.05.03
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浅口市鴨方町鴨方
橋長:2.9m
橋幅:3.3m
桁8列
単径間円弧桁橋
架設:安永7(1778)
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長川寺(ちょうせんじ)縁起
「清瀧山長川寺は、曹洞宗開祖永平道元禅師四世の法孫瑩山紹瑾禅師開創の横浜市鶴見大本山総持寺も法系門下にあり。本寺は井原市永祥寺である。
寺伝によれば、源三位頼政四代の裔近江守西山源五郎宗久公(正眼院殿華庭栄公大居士)を開基とし、英厳章傑禅師(永享七年 一四三五歿)を開山に戴く古刹である。
その後、鴨山城主細川氏ゆかりの禅寺としての偉容を維持する中で、応仁の兵火に遭い伽藍を焼失したが、細川氏三代教春の献供を得て、三世等厳字倫和尚が再興した。また、天正年間七代通菫より寺領百二十石の寄進を受けるなど、幾多の歴史的変遷を経ながらも寺門は大いに興隆した。
後年幕府はじめ池田輝政などの寄進も相継いだが、元和年間水害山崩れのため伽藍什器のすべてを流失する惨事もあった。しかし、十二世徳雲重憲和尚の威神力によって、元禄十七年(一七〇四)に再興された。それが現在の本堂である。なお、庫裡は天保十五年、鐘楼は昭和十一年に再建されたものである。
寺域は千八百六十坪の境内には、鴨山城主七代細川通菫(長川寺殿峯山浄高大居士)の墓や御庭師弥兵衛の手になる文化年間の築庭などがある、また、備中守護細川氏初代満国による築城(応永十四年)以来、八代元通の長州転封(慶長五年)までの百九十余年間の歴史を物語る鴨山城跡は、山門より望む西北五百米の山頂にある、因みに、その自然石の碑は通菫の三百五十回忌追悼法要を記念して、その家臣の子孫である清瀧会員によって昭和十一年に建立されたものである。
そして、登頂の道すがら拝される摩崖仏は観音信仰の霊場でもあった往時のあかしである。」
昭和五十六年三月
當山三十世 規道彰準 識 |
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今回の岡山探索、備前市からスタートする予定でしたが、高速道路が渋滞していたため、予定変更。鴨方ICで降りてここからスタート。
幸先よいスタートです。
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側面
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心字池にも石橋が架かっているのが見えます
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安永七年
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境内から
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駐車場に居たニャン |