6,856 戸町の石橋 2013.11.04 |
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長崎市戸町4丁目13 橋幅:6.7m 径間:2.1m 拱矢:0.8m 環厚:38p(輪石49p) 輪石:8.5列 |
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みさき道人さんから10月21日に情報を頂いていました |
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斜橋です |
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上流側 |
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ねじりまんぽ、見事な加工です |
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上流、左岸側 三重県の「六把野井水拱橋」はコンクリートブロックによる「ねじりまんぽ」ですので、石造アーチ橋では初めて見る珍しい形式です。おそらく現時点で日本で唯一の形式 |
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内部 石の加工がさぞかし難しかっただろうと思います 鉄道煉瓦アーチの「ねじりまんぽ」の技術が使われたものと思われます |
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下流左岸側 耐荷重的にねじる必要のないのにねじるのは、設計者のこだわりでしょうか |
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下流右岸側 |
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下流側 |
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下流側、上から |
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みさき道人さんのブログより引用 「 (2013年10月31日 追記) 石橋上部の「長崎税関戸町火薬庫の歴史と標石」 2013/10/31(木) [ JOKAMOTO ] 氏コメントがあった、大蔵省関税局編「税関百年史 上巻 」日本関税協会昭和47年発行197頁は、次のとおり。 火薬庫場所は、地元松林氏の記憶によると、現在ここにある郵政職員アパートや民間駐車場一帯で、2棟の煉瓦造り平屋建物が建っていたが、大戦中はもう使用されていなかったということである。 コメントどおり、近辺には欠損した標石2本(1本は「長崎…」と刻む)が現存しているのを確認したが、火薬庫境界石とは断定できない。 税関と火薬庫との関係は、輸入品だったなら火薬類一時保管庫をここに設置したのだろうと言う長崎税関の話である。 税関の火薬庫で、私が「軍道?の橋」と説明したのは、間違いがあるようなので訂正したい。 『…火薬類の保管については、旧幕時代のものが引きつづき使用されたが、明治五年正月、西泊郷に新しく一棟が新築され、これが利用されることになった。その後、二八年五月には、西彼杵郡戸町村の岩井浦に、新しく火薬庫が新築されたので、これに移転している。 また、(註 以下は梅香崎税関建物の記述のよう)上屋の施設についても、六年四月、梅ケ崎沿岸の海岸を埋立て、はじめて税関上屋一棟が建設されたが、翌 七年八月、暴風雨によって倒壊したため、九年三月、これを再建している。しかし、日清戦争の時期には、これらの施設では狭隘となったので、三〇年二月に は、あらためて吹抜上屋一棟の増設が実現した。…』」 |