古橋
「1654年(承応3)今から338年前に唐通事の林守?氏の肝入りで架けられたもので旧名は中河橋ともいい、江戸時代に桜馬場(現地)から中川‐蛍茶屋‐日見峠‐矢上‐江戸に通ずる]旧長崎街道への玄関橋であった。1634年に架けられた日本最初の眼鏡橋(石橋)は明朝式のアーチ型であるが僅か20年後に出来たこの橋は布(しき)石が矢の形に改良されているのは、林守?の知恵か石工の技術なのかが想像され、他に例を見ない貴重なものである。側面から見ると、この橋は約1m近く野石で嵩揚され、欄干の丸親柱が埋もれているが、その年代は不明である。橋付近の「いしだたみ」は長崎開港1571年(元亀2)より3年前、清時代の江南風舗装術のエキゾチックなもので、歌にも唄われる「坂の長崎いしだたみ」最古の風情である。
この橋で注目すべき点は布石(アーチ型の上の補強用石)が左記の様に加工してある。それはアーチに接触する長方形の石は、先端の尖った鋭角の部分が橋上を通る重荷のため欠けやすいので構造上この様になっています。」
旧江戸に通ずる長崎街道石畳保存会 |