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三号坂橋
(仮称)
2011.04.02

都城市高城町四家

径間:1.8m
拱矢:0.9m
環厚:43cm
輪石:9列
(旧都城高岡線)




町道和石(よれし)去川線開通記念碑
「沿革
本道路は昭和五年部落民の奉仕をもって開削され通学道路として利用されて来たが昭和三十七年国道十号線(通称三号坂)の開設により再び労力奉仕を重ね改修を行い以来町道西谷橋線として利用されて来た。しかし、西谷下流周辺部の道路拡張が困難で急勾配のまま通学道として利用するに過ぎなかった。
昭和四十六年和石地域発展の動脈としてこれが全面改良計画を町長富水流勲氏が企画し、翌四十七年度から国の補助事業として着工し国会議員瀬戸山三男氏の御尽力により幾多の困難と八年間の歳月を費やし、昭和五十五年三月全線舗装道路として完成したものである。由来陸の孤島と謂われ発展を阻害されて来た和石地域が本道路の開通により明るい将来の発展が期待されるに至り、地域の受ける恩恵は大なるものがあり竣工を祝し記念碑を建立するものである。」

昭和五十五年三月 建立
 この記念碑は2007年10月14日、去川から和石へ抜ける際に撮影したものです。この道路が旧都城高岡線ではないことをずっと疑問に思っていました。
 今日は高岡町の二見家住宅を訪ね、ボランティアの方に説明をしていただきました。その際和石去川線のことを尋ねてみました。
 去川から和石への道路は比較的新しいとのこと、この記念碑のことを思い出しました。それではこの路線の先に建っている古い道標は何なのか?道標の建っているところの東側から現国道10号線八重橋の袂に抜ける古い道がありますが、以前国道側からアクセスして途中で進むのをあきらめた経緯があります。

今回は和石側からチャレンジすることにしました
 この道路は途中からかなり荒れており、ゆっくりと進みました。川が横切っている地点をチェック


下流側にはコンクリート管が出ています

上流側にはアーチが見えます

これくらい近づいても半信半疑

シダのはえた土を落すと、輪石が確認できました
この道路が旧都城高岡線であることを証明しています

内部

上部