1,751
川崎用水路下川崎石橋
(仮称)
2006.03.25

都城市関之尾町・乙房町境

橋幅:15.0m
径間:2.5m
拱矢:1.2m
環厚:39cm

庄内橋南側、県道108号線との交差点から県道32号線を150m南の地点。酒造メーカーの南側です


南前用水路
「南前用水路は今から約320年前(1685年)に島津久義が監督してつくりました。関之尾滝の約300m右岸の岩山を掘りぬくという大変な難工事でした。
 この工事で数十haの水田が開かれました。その後、1886年(明治19年)に郷土の坂元源兵衛がつくった
川崎用水路とつながれました。
2002年6月現在(水路の長さ7200m 南前用水路の水を引いている田んぼの面積100ha)」


郷土の偉人 坂元源兵衛翁
1840年(天保11年)〜1918年(大正8年)
「坂元源兵衛は今の都城市西岳に生まれ、1869年(明治2年)に優れた田んぼを開く技術とみんなをまとめる力があったので、三島地頭に頼まれ都城市庄内町に移住しました。そして田んぼを開く事業など村の発展につくしました。」
南前用水路〜川崎用水路を辿り、田んぼの中の道を慎重に進みました

県道31号線と交差する地点を覗き込むと輪石が見えました

中にはやや大型の輪石の石橋がありました

左岸側

右岸側

下流側

水門があります

上部
酒造メーカーが見えます


関之尾頭首工と用水路の歴史
「この地域は昔から開田(山や田に水を引いて水田を作る事)が盛んで、庄内川から水を引いていましたが、農家の人達は水不足のため、大変な苦労をしていました。
 そこで、この川から水を引いていた3ヶ所の取入口をまとめて、昭和29年に頭首工をつくりました。これが関之尾頭首工です。向う側は
南前用水路、手前は前田用水路と名前がついています。
 南前用水路は、今から約300年前に岩山を掘り抜いて滝の上流から水を引いた水路と明治時代に庄内の坂元源兵衛翁によりつくられた
川崎用水路を合わせたもので、川崎、平田、乙房の約180ha(約1万人の大人が1年間に食べるお米を作る面積)の水田に水を流しています。(水路の長さ7Km)
 又、前田用水路は、坂元源兵衛翁が庄内、山田、志和池にまたがる開田を計画し、前田正名公が引きついで工事を行い、230ha(約1万3,000人の大人が1年間に食べるお米を作る面積)の水田が完成しました。(水路の長さ7Km)
 その後両用水路とも、古くなったため関之尾頭首工とともに改修。更に昭和40年代になって田んぼの区画整理を行いました。
 現在では、この頭首工のおかげで広くきれいになった田んぼにお米を中心に、さまざまな作物が作られ、地域の発展に大きく役立っています。
 関之尾頭首工の大きさ
 堰の長さ 42m
 堰の高さ  2m
※頭首工とは
 川の水をせき止め、用水路へ水を引き入れたり、水の量を調節するための施設で、別名「井堰」とも呼んでいます。」

管理者 都城市・庄内土地改良区
制作者 宮崎県土地改良事業団体連合会
取水口からすぐ下流、岩山をくりぬいた隧道の吐き口

関之尾の滝の下流

さらに下流に辿ると、ここに出ます


乙房橋りょう
(JR吉都線)
都城市乙房町
都城起点4K914M
支間3M50

以上 2006.03.25撮影


4年ぶりの訪問

上流側

上流側

下流側

下流側
以上 2010.04.10撮影