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境橋
2005.01.15

水俣市大字袋字神川

境川
橋長:13.5m
橋幅:4.9m
径間:11.3m
拱矢:3.4m
架設:明治16年(1883)

国道3号線、水俣市・出水市境から120m南を左折、200m先JRの高架下に薩摩街道の標柱がありますので、線路に沿って北東へ130mの境川に架かっています。
(境橋の北詰の道路は、境川右岸沿いに国道3号線へ出ます)




県境の太鼓橋
「肥薩国境の境川は小さな谷川であるが、古来この川をめぐって幾多の抗争が繰り返され、藩政時代には藩の安全と秘密を守るため堅く閉ざした国境の川であるが、僅かにこの地のみが両国交流の地点であった。この橋は明治16年に架けられた石造の太鼓橋で肥後の石工の卓越した技術を今に伝えている。
 頼山陽もこの川を渡り薩摩に入っており、次のような誌を作っている。「一澗平分南北州、乱沙深草両辺秋 曽無所唯渓水 幾股渓随意流」又高山彦九郎が寛政4年3月5日ここを越える時「爰迄も送る心や玉鉾の道を守りの人をしそ思う」と歌っている。
 この時代までは橋は架かっておらず飛石伝いに川を渡っていたようで、西南戦争後に架けられています。
 なお、頼山陽は夕方おそくなり野間の関所を通ることが出来ずに、神之川に引き返し一夜を神之川の農家に泊ったと書き残している。又、この肥薩街道は島津藩の参勤交代の主要な道路でもあり、維新の英傑、西郷隆盛、僧月照あるいは、幕府の巡使等多くの人々がここを通過している。」

水俣市教育委員会
上流側

岸側

上部

上流左岸側

左岸側

以上 2005.01.15撮影


4年4ヶ月ぶりの訪問

右岸側

上流右岸側から

右岸側

拱頂部

下流側
以上 2009.05.23撮影