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永山橋
(架設当初名:永山村目鑑橋)
2004.02.07
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菊池市大字原字永山(ながやま)
菊池川
橋長:21.14m
橋幅:4.7m
径間:20.4m
拱矢:7.7m
環厚:72cm
輪石:47列
架設:明治11(1878)年
石工:橋本勘五郎
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立門橋からT字路に引き返し、県道45号線で約2Km進むと右手に「永山橋」の標識があります。そこから歩いて下ります
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永山橋 菊池市文化財指定
「旧永山橋は、現永山橋より130m下流に文政6年(1823年)に架けられたが、文政12年5月の洪水で流失している。現永山橋は、明治11年完成している。架橋は古老の武藤逸美氏は「私の祖父甚平に妻(祖母)がお嫁にきたのが明治9年であった。その年が着工の年で翌々年明治11年の春約2ケ年の歳月を費して現在の橋を見るに至った」と語る。工事中一度枠組みに失敗して再度やり直したと伝えられている。当時、永山橋は熊本、合志、菊池と小国、豊後との交通上の要路で、この西片4Kmの地点にある日田往還よりの立門橋と共に肥後と豊後の交易の要路上の重要な橋としての意義は大きなものがあった。石工は肥後八代種山手永の橋本勘五郎である。
使用石材は近くの上崩迫より切りだして多くの石工、大工、人夫によって構築されている。明治4年に東京に召された橋本勘五郎は、江戸橋、万世橋、浅草橋等の眼鏡橋を架けて当時の東京市民の生活の便をはかっている。内務省土木寮測量士の辞令を貰い、その辞令によると、明治7年の日付けで「月給弐拾円也」となっている。永山橋は欄干の形状に特長があるといわれる。 規模 長さ24.4m 高さ17.0m
幅 4.7m 輪石45枚」 環境庁
熊本県 |
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上から
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右岸下流側
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左岸側から
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以上 2004.02.07撮影
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3年2ヶ月ぶりの訪問
「日本の石橋を守る会」見学会
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現永山橋の下流に文政12年に流失した旧永山橋の痕跡を説明する浦田会員
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左岸側の痕跡だそうです
2007.04.22撮影
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6年10ヶ月ぶりの訪問
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下流側
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拱頂部
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西側から
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西側から
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下流左岸側
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上部
以上 2014.02.09撮影 |