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岩本橋
(架設当初名:上井手目鑑橋)
2005.01.03
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荒尾市上井手字岩本
熊本県指定重要文化財
関川
橋長:32.7m 橋幅:3.4m 径間:12.6m 拱矢:5.9m
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国道208号線、荒尾市役所前から県道314号線へ。5.4Km先県道29号線へ左折、1.2Km先左手関川に架かっています
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岩本橋
「岩本橋は関川に架けられた石造のアーチ橋である。川幅が広く岸も低いので一つのアーチにすれば橋の高さが異常に高くなるところより、二つのアーチの設計を石工たちは考えたのであろうが、そうすると川の中央に基礎がくるので川の流れを阻むし、橋の根元が洗われて危険であった。そこで、石工たちは橋脚に水の抵抗に強い小岱石を運び、壁石を壊さないように「水切り」を上流と下流に設け水流をスムーズに両側に分けるように工夫した。アーチは厚さ60cm余りの43個の輪石で組み、その上には整然と切石を積みあげ水平床にし、人や車の往来を便利にするように造り、床の左右に高欄を設ける。高欄は地床に沿って地覆を捉え束石をたて笠木を載せた素朴なものであろうが、それらの数か所に浮彫装飾が施されている。その中には八弁及び十六弁の菊花がみられる。 この工事の石工や竣工年月日は瞭らかではないが、熊本県八代郡東陽村種山の石工橋本勘五郎が明治4年頃工事責任者となって架橋したのであろうと古者はいっている。勘五郎は明治6年3月上京し内務省土木寮に勤務し宮城二重橋等を架設し、肥後名工の名声をたかめた。勘五郎が矢部の通潤橋架設の際用いた橋枠の模型をみると厚さニ寸、幅八寸の板で橋の形の枠組みを大工が作り、この枠の中に輪石を積みこみ最後の要石をはめこんで枠を外すと奇妙な音をたてて橋がしまる。もし橋が壊れる場合工事責任者は切腹するのが橋かけの不文律であった。岩本橋をみるとき当時の命がけの仕事振りが窺われる。 昭和37年7月4日397mmの集中豪雨が橋を襲い橋の一部が破損したので道路改修の一環として新岩本橋を新設するとともに、分水路を開鑿し橋を災害より守り、昭和60年より三カ年計画で関川環境整備事業がなされ観光資源としての価値も高めた。」
上井手上子供会 荒尾市教育委員会 |
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上流側
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下流側
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橋脚
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高欄
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上流左岸側から |