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玉之山
(おうのやま)溝橋(仮称)
2006.01.15

湧水町米永

橋幅:10.9m
径間:2.4m
拱矢:1.2m
基礎5段1.7m
JR肥薩線
架設:明治36年(1903)頃

落水田橋梁から8Kmほど北上、玉ノ山で県道55号線から西へ踏み切りを渡りました。左手に水路が延びており、辿るとレンガ製アーチ橋が架かっていました



茂みを掻き分けると、本日2番目のレンガ製アーチ橋の出現
マウンドもそんなに高くなく、橋幅も広くはなく、鉄橋でもよさような条件です

橋頂部

下流左岸側

下流右岸側

内部
上流側を望む

下流側

肥薩線
「隼人駅から吉松駅・人吉駅を経由して、八代駅に至る124.2Kmの路線。
 明治42年人吉〜吉松間の開通により,鹿児島本線門司〜鹿児島間の一部となっていたが,昭和2年に川内経由の海岸ルートが開通したことにより,肥薩線と改称され,また,昭和7年に隼人〜鹿児島間が日豊本線に編入され,八代〜人吉〜隼人間が現在の肥薩線となった。

肥薩線の歴史
明治34年(1901)6月10日
 鹿児島〜国分(現在の隼人)間が開通
明治36年(1903)1月15日
 国分(現在の隼人)〜横川(現在の大隅横川)間が開通
明治36年(1903)9月5日
 横川(現在の大隅横川)〜吉松間が開通
明治41年(1908)6月1日
 八代〜人吉間が開通
明治42年(1909)11月21日
 人吉〜吉松間の開通により、鹿児島本線門司〜鹿児島間が全通
昭和2年(1927)10月17日
 八代〜川内〜鹿児島間の海岸ルート全通
 これにより、八代〜人吉〜鹿児島間は肥薩線と改称される。
昭和7年(1932)12月6日
 都城〜霧島神宮〜隼人間が全通したことにより、隼人〜鹿児島間が日豊本線に編入され、八代〜吉松〜隼人間の区間が肥薩線となる。」