1,943
会田川橋梁

2006.08.05

湧水町米永 会田

径間:2.45m
拱矢:1.23m
基礎:下流側9段H2.97m
JR肥薩線
架設:明治36年(1903)頃




 以前から気になっていたこの場所、玉之山橋梁から踏切まで戻り、農道を北西へ少し進み「米永コミュニティーセンター」案内板から右折。コミュニティーセンターを過ぎ、坂を下りきったところに橋が架かっています。ここから川に下りて川を遡るのは距離があるので、今来た道路を50mくらい引き返し、竹薮を突っ切って川へ降ります。そこから遡ると見えてきます。

下流側

内部

上流側
ここから県道55号線が見えますが、県道側からはよほど注意しないとこちらは見えません。

上流左岸側

護岸と敷石
肥薩線
「隼人駅から吉松駅・人吉駅を経由して、八代駅に至る124.2Kmの路線。
 明治42年人吉〜吉松間の開通により,鹿児島本線門司〜鹿児島間の一部となっていたが,昭和2年に川内経由の海岸ルートが開通したことにより,肥薩線と改称され,また,昭和7年に隼人〜鹿児島間が日豊本線に編入され,八代〜人吉〜隼人間が現在の肥薩線となった。

肥薩線の歴史
明治34年(1901)6月10日
 鹿児島〜国分(現在の隼人)間が開通
明治36年(1903)1月15日
 国分(現在の隼人)〜横川(現在の大隅横川)間が開通
明治36年(1903)9月5日
 横川(現在の大隅横川)〜吉松間が開通

明治41年(1908)6月1日
 八代〜人吉間が開通
明治42年(1909)11月21日
 人吉〜吉松間の開通により、鹿児島本線門司〜鹿児島間が全通
昭和2年(1927)10月17日
 八代〜川内〜鹿児島間の海岸ルート全通
 これにより、八代〜人吉〜鹿児島間は肥薩線と改称される。
昭和7年(1932)12月6日
 都城〜霧島神宮〜隼人間が全通したことにより、隼人〜鹿児島間が日豊本線に編入され、八代〜吉松〜隼人間の区間が肥薩線となる。」