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西田橋

2004.02.15

鹿児島市浜町
石橋記念公園内

(移設後現況)
橋長:49.5m
橋幅:6.2m
径間:10.3m×2、11.7m×2
拱矢:3.67m、4.48m
架設:オリジナルは弘化3年(1846)
    平成11年9月、現地に移設
石工:岩永三五郎





西田橋
「西田橋は、江戸時代、鶴丸城から九州街道ヘ至る島津家参勤交代の道筋にあり、城下の玄関口としての役割がありました。この橋はかつて木造の橋でしたが、城下整備の一環として、甲突川改修と合わせて弘化3年(1846)に石橋に架け替えられたものです。
 西田橋は、石橋への架け替えの際にも木橋時代の青銅擬宝珠をそのまま使い、丸柱の精巧な高欄とするなど藩の威光を誇示した橋で、また、橋の側面に踏ん張りを持たせ、側面の石積み(壁石)を扇状にするとともに、二重アーチに見せる技法も西田橋から用いるなど岩永三五郎の技法的特徴が十分に発揮された生涯の傑作といえます。甲突川の五石橋を代表する橋として、昭和28年(1953)県指定有形文化財(建造物)に指定されています。
 西田橋は、創建以来150年間、交通手段など社会環境の変化に対応して幾つかの改変を受けながら、現役の橋として使用されてきましたが、平成5年(1993)の8.6水害後の甲突川抜本改修に合わせて、この地に移設して保存することになりました。
 移設に当たっては、改変など歴史的事実を踏まえ、現場に残された痕跡などを調査した結果、おおむね創建時の状況が把握できたことから、復元は、当時の技術水準や経済事情を反映しながら、構造的、美的意図が最もよく現れた創建時の姿を基本に行いました。」
以上 2004.02.15撮影


2004.10.16撮影


2005.12.18撮影


雪化粧の桜島
2006.01.08 午前7時過ぎ撮影



以上 2007.05.17撮影


4年10ヶ月ぶりの訪問

記念館側から

北側

拱頂部

西田橋御門
「西田橋の左岸側にはかつて御門があり、城下の武士や町人、領内を通過する旅人は、御門脇の番所で改めを受けて通行していました。御門は、明治5年(1872)の天皇行幸際に撮られた写真に写っていますが、その後西南戦争で焼失したと思われます。西田橋解体時に行った取付道路の発掘調査では、その礎石の根石が一部発見されました。
 なお、明六ツ(午前6時頃)に開門し暮六ツ(午後6時頃)に閉門していたそうです。

整備の考え方
 御門は、城下の玄関口にあった西田橋の性格を表す重要な施設です。そこで、発掘調査で確認された橋との位置関係を保って、写真や遺構、市内の仙巌園門などを参考に復元的に整備しました。」
以上 2012.03.24撮影