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本村三島神社参道橋
2007.10.20
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柳川市西蒲池 本村
橋長:2.3m
橋幅:2.7m
桁1列
単径間桁橋
架設:寛永18年(1641)
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三島神社
「崇徳天皇天治二年(1125)蒲池城主何某か伊豆国の三島神社(今の静岡県三島市の三島大社)から勧請し、その後蒲池城主蒲池出羽守が紀伊国の熊野神社と筑後国高良神社の分霊を移して合祀した。主神は大山祇命、合祀の神々は伊邪那美命、大山咋命、素盞鳴尊、武内宿弥である。蒲池城主蒲池治久は柳河城を築いたが、三島神社を柳川城鎮護の御宮として常に尊崇した。天正九年(1581)蒲池氏滅亡の時、社殿は破壊され、神宝・神剣・神與・撞鐘等は肥前勢にうばい去られた。天正十五年(1587)柳河城主となった立花宗茂は社殿を造営し、祭礼をもと通りにして神與御幸、流鏑馬、能楽を奉納した。立花宗茂にかわって柳河城主となった田中吉政、同忠政および立花宗茂再封後の代々の柳川藩主も三島神社を尊崇し風水旱虫害や国に重大事があるたびに祈祷を行った。
楼門前の石橋は寛永十八年(1641)立花家の家老十時三弥が神社西北部の字田中後にあった巨石を運ばせて献納したもので、弥生時代か古墳時代の石材と思われる。拝殿北側の大石は古墳時代のものと考えられる。一枚は記念碑の石材となっている。本殿の後には弥生時代の貝塚がある。神社の西方には元和元年(1615)に田中忠政が献納した肥前鳥居がある。神社の北側には三島神社の神宮寺であった浄光院の址がある。同院は高良山の月光院、酒見の摂取院と共に筑後の三院といわれ、最も勢力があったという。」
柳川市教育委員会 |
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由緒ある神社です
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神門前に架かっています
「寛永十八年(1641)立花家の家老十時三弥が神社西北部の字田中後にあった巨石を運ばせて献納したもので、弥生時代か古墳時代の石材と思われる。」・・・というかなり古いものです。
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側面
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樹齢推定500年の大クス
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境内から
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下部
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上部、1枚の巨石です上部
以上 2007.10.20撮影
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初めての場所かと思ったら
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4年3ヶ月ぶり、2度目でした
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側面
以上 2012.01.21撮影 |