六騎・矢留(やどみ)大神宮
「1185年壇ノ浦で敗れた平家の落人は、肥後路へ逃避しました。しかし、源氏の追求は厳しく、落武者6名−難波善長、加藤藤内、浦川天ヶ左衛門、鳴神藤助、是永多七、若宮兵七−は、柳川沖端へ移り住み、漁業をはじめたといわれています。当時の人々は、平家の身分の高い人達として、6名の騎馬武者の意味で“六騎”と称していました。
こうして“六騎”が、沖端漁業の基礎を築いたので、漁業者のことを“六騎”と呼ぶようになりました。
また、産土神(氏神)をまつることに気づいた“六騎”の1人は伊勢に参り、半鏡を授かった。するとまもなく、この矢留の地から半鏡が発見されたので、伊勢大神宮から授かった半鏡とつなぎ合わせてみると、不思議なことに一致し、これは大神宮様のお授けになったものであるとして、天照大神を奉祀したのが、矢留大神宮です。時は1395年11月15日でした。毎年11月15日、矢留大神宮、六騎神社の大祭がおこなわれます。」
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