花宗神社碑
「この碑は大正十年に建立され、高さ約五メートルの凝灰石に六百四十一文字が刻まれています。
花宗神社は素戔嗚神社(上津江)が願い出て花宗神社と改称され、明治四十五年三月二十八日、熊野神社(下津江)天満神社、阿波島神社(上津江)若宮神社(後ノ江)が合祀されました。矢部川の花宗堰に臨める所から花宗神社となり、祭神は九神で、天穂日命、天忍骨尊、天津彦根命、活津彦根命、熊野久須毘命、素戔嗚尊、少彦名命、仁徳天皇、菅原道真公です。
この地方の人たちは苦から信仰心が厚かった。津江の各地にあった神社は建物が不備で、管理する者も無く、境内も狭かったので、津江の人たちはそれを遺憾に思い、合議の上、花宗神社として合祀したのです。
この他は矢部川から分流した花宗川の花宗堰の所にあり、風光がすこぶる良く、四季を通じ参集する人々が多く、特に蛍見や納涼などでにぎわっていました。南に飛形山の秀峰を中心に連山が続き、正に雄大な展望であり、これも神霊の威徳でしょうか。
また、文禄年間、山下城主筑紫広門の家臣、牛島蔵人丞隆政がこの領地に守護神として、下津江にあった熊野宮を奉じたので牛島姓が多いのでしょう。
合祀の際、神社の床下に無数の河石を敷き、堅牢盤石にして増改築移転し、暴風水害に備え、その用意周到さは大正十年六月の大水害にも耐えたのです。
これもこ神徳と皆益々敬神の念を深くしたのです。」 |