穴生小学跡

2012.03.10


北九州市八幡西区穴生2丁目




穴生小学跡(鷺山学舎)
「明治維新後(一八六八年)、黒崎村岡田宮の神官波多野直足 (号を鷺山という)が鷺山学舎を開き漢字並びに書道・和歌等を教授した私塾が前身です。
 明治五年学制の発布により、明治七年二月、穴生村弘善寺の境内に穴生小学が設置されました。穴生小学は下等小学(一、二年生)で生徒は年齢六歳より九歳まで、人数は次の通りです。
 明治七年は男五十八名 女二名 計六十名 教員一名
 明治八年は男五十三名 女三名 計五十六名 教員一名
 明治九年は男七十名 女三名 計七十三名 教員二名
『学校を維持すべき経費は其の学区に於て負担し又生徒に授業料を納めしむるもの』という方針で年間、生徒は三円、各戸負担は一戸当たり四八銭、補助は三銭でした。
 しかし不就学者が多く、保長(区長)は、遠賀郡長に不就学者を次のように分けて報告し、就学を勧めたようです。
第一、極貧につき 第二、病身につき 第三、幼弱につき 第四、家業の手伝いにつき 第五、農業(子守、留守番)につき、と五項目で報告したようです。
 明治二十六年になると引野校と穴生校が統合され、上津役尋常小学校が開校されました。これにより穴生小学は廃校になり、以後穴生の児童は昭和二十七年まで上津役小学に通学しました。」

平成十年(一九九八年)二月吉日
穴生地区社会福祉協議会
穴生公民館郷土史委員会
寄贈・瀬板の森北九州ゴルフコース
弘善寺の境内に記念碑のみ建っています