小塩の由来
「真美野、前迫や笹の隈などから発見された石の道具や土器の破片などから、この付近には2〜300年前に人がいたことがわかりますが、はっきり記録(文字)に見られるのは今から800年ぐらい前のこと。
越生越前守という人が丹後局と共にこの地に住みつき烏岳に東山城を築き、本宮に小椎尾神社をお祭りしてこの地方を治めたこと、また丹後局は岩屋洞に尼寺(今の岩屋堂観音堂横)を建てたことなどが書かれています。
この頃から人々も多く住みつくようになり、谷間やゆるい山の傾斜面などを開拓して田畑をつくり、農業で生活していたようです。なお、日田、田竈、新川などとも往来して女子尾、宮、牧の草、前迫などにはやく“むら”が出来たと思われます。
その後、人口も増え次々に新しい“むら”も出来たと思われます。
その後、人口も増え次々に新しい“むら”も出来、明治22年、小塩、田篭、新川、妹川の四ヶ村が合併して“姫治村”となるまで私たちの先祖の人々はこの平和な“小塩村”の開発と発展に努力されてきたのです。“小塩”とは越生越前守が治めていたのでその姓をもって村の名としたとされています。
(中崎塚塚の碑)
越生→小椎尾→小塩となりました。」 |