浜の宮 綱敷(つなしき)天満宮
主祭神 菅原道真公
「昌泰4年(901)左遷された菅公が大宰府に赴く途中暴風にあいこの浜にたどり着かれた。有門家令の先祖等が菅公の常の人と異なるお姿に接し、取りあえず漁船の綱をくり敷いて休んでもらった。そして、村人たちはこの地に黒木の休所を造り、菅公はここでしばらく休養されて筑紫に向かわれた。
天暦9年(955)神託があり国府の命によって社壇が造営され、船の綱を敷いて迎えた古事により「綱敷天満宮」と称えられた。その後、寛永14年(1637)に豊前国主小笠原忠真、豊後国主木下延俊両公によって現在の社殿が造営され、今日に至っている。
古来、椎田の地は豊後に通ずる街道筋で多くの知名人が当社に参拝している。
元禄7年(1694)貝原益軒の“豊国紀行”の5月6日の記録に“椎田の四丁ばかり東の浜に松原あり。其内に綱敷天満宮の社あり 海辺絶景なり・・・”と。又芭蕉の門人十哲の一人である各務支考の旅日記“西華坊梟日記”の元禄11年
6月4日のところに参篭したことが記され“昼がほよ 今宵はここに はまの宮”という句もある。そのほか、伊能忠敬の“測量日記”(1812年)野田成亮の“日本九峰修行日記”(1819年)等々多くの事跡が残っている。」 |