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植木苗木発祥地之碑前橋
2007.05.20
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久留米市田主丸町殖木
橋長:1.7m
橋幅:2.0m
桁2列
単径間桁橋
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碑銘
「全国植木苗木の三大生産地として有名な我田主丸その名も殖木その栄光を伝統三百年の血と汗で培ってきた先達者達の足跡を今さらに偲びそして国土を支えながら我ら子孫を今日あらしめた不滅の業績をここに仰ぐ、思えば元禄年間泰平の項、封建治世の重圧から開放されようとして人々はせめてもの美と潤いを土に求めた皐月つつじの愛育もやがて江戸から地方へと伝播する。
折から第三紀層壌土の肥えた地味で育苗植樹に最適の郷土に着目した我祖先たちが椿桐桧葉蜜柑牡丹苗など細々と営む育苗の中に初めてつつじを採り入れたと云う。いかにも幕府の政策にあえぐ藩政と天災人災にさいなまれる農民が生んが為に撰んだ副業生産の活路でもあった。この浮羽地にあって伊吉はぜ苗は諏訪村苗圃の声価を高め遠く美濃国から持ち返った桑苗久絞竜は近郷注目の的となった。けれ共景気と不景気との需要のアンバランスといかに多難な長い路線だったことか。その間或いは組合や研究会を組織して共研鑽を怠らず明治初年の業者十余名が二十年には三十余名となり同四十三年から諏訪神社境内に開かれた三日三晩の群衆歓喜のるつぼと化した皐月つつじの大会であったが昭和の大戦にあえなく閉幕、すべて食料増産に切替えられねばならなかった然しすでに明治初年に諏訪村、明石田村を併せて植木村と呼びやがて殖木と改めた地名の中にさえ先覚者達の遠大なる抱負と誇りは脈打っていたのである。
かくて良く家職を守り果樹苗木植木花弁盆栽と飛躍の一途に培ってきた精進と根性こそは終戦後今日に及ぶ経済成長と農業構造改善事業を基盤とする好景気の恵みに浴する機縁ともなった。
重ねて思う今や全国にそして国外にまで聞こえた苗木と植木の大生産地たる面目にかけてその発祥の地たる我郷土殖木の名誉を思いしからしめた先輩弱斗の歴史に感謝し団結もって稼業を守り社会国家の福祉に寄与せんことを誓う。」 |
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正面
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側面。奥には諏訪神社参道橋
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神社側から |