宝筐印塔
「この塔は文化14年(1817)肥後出身の僧、豪潮律師の建立したものです。豪潮は、16歳で比叡山に修行して天台の教学を学び、徳行天下にあまねき名僧で、殊に光格天皇の御信任篤く、寛海国師の称号を賜った程です。
晩年は尾張藩主徳川斉朝に重用され、87歳で名古屋城下にて入寂されました。この間、全国に2千有余の宝筐印塔を建立し、庶民の現世安穏、後生極楽を祈願しましたが、この塔はその中の最大のもので高さは約8mあります。
明治維新の廃仏毀釈の際、之を保存するため燈籠に変形し、基礎の蓮華も亀甲にかえたりしています。」
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