中村家住宅

2009.09.05


大川市大字榎津




中村家住宅
「当家は、榎津本町筋と長町筋の角地にあたる要地にあり、旧久留米藩領内に属していました。江戸時代には高札場が設けられた場所でした。昭五十八年に取り壊した嘉永六年(1853)の銘がある蔵の妻に五(ごとうや)と屋号がはいっていました。これは、長崎の五島と海産物の取引を行っていたことに由来するそうです。
 現在の主屋は明治十八年(1885)頃建てられたといわれ、塗込造り本二階建ての町屋です。
 戦後行われた角切りにより表間口五間になっていますが、元は表間口六間半、奥行き四間半の平入町屋だったようです。間取りの改造が多く、建築当初の平面を復元することはできませんが、現在の間取りは、表にシンシツミセ・物置の三室・奥にオザシキ・チャノマ・ジムシツの三室が並んでいます。ミセ部分には土間と板張りとがあり、その境目には大黒柱と思われる一辺184oの太い柱があります。現ジムショは元は通り土間であったと思われ裏の蔵まで続いていました。」

大川市教育委員会