浄福寺の山門
「寺の正門を山門という。ここ浄福寺の山号を地名をとって小保山といい、境内に略縁起を刻んだ石碑が建っている。それによれば、天正年間(1573年〜)の頃までは、津村城主津村秀門の祈願寺・天台宗小保山受信寺と称していたが、天和六年(1620年)二世了世のとき、本願寺に帰属して小保山浄福寺と改称された。
浄福寺は、お城の北の寺といわれ、この寺の山門は明治五年、柳河城の天守閣が焼失した後、城の辻御門を移したものと伝えられている。
30年程前に修理され、この時棟を七寸(約20cm)高くし、天保の鯱もその時造り替えられた。
山門には、すべて仏寺特有の彫刻が飾りつけてあるが、ここ浄福寺の山門には飾りはいっさい施されてなく、城門の風格を残している。」
大川市教育委員会
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