藩境の石列

2009.09.05


大川市大字榎津




藩境の石列
「この石列は、藩境石と言い伝えられています。江戸時代の小保地区は、久留米藩と柳河藩の藩境に位置し、宿場や港町として栄えていました。現在も当時を偲ばせる建物が残っています。
 平成二年十一月にこの石列の発掘調査を実施しました。現在、石柱は28本残っていますが、調査の結果、本来は29本であったことがわかりました。石柱は、石質や大きさが異なっていますが、同じ間隔で、二箇所に穴があけられています。この穴には横木が通されていたと思われます。
 石列が作られた年代は、はっききりしませんが、文化八年(1812)測量のため、この地に立ち寄った伊能忠敬の測量日記に“右八幡宮・左側久留米柳河境石”と書いてあります。この他、宝暦九年(1759)の“小保町絵図”の中に描かれており、十八世紀中頃には石列があったことがわかります。」

大川市教育委員会