浅木神社略記
「昔時浅木神社の周辺は岡湊よりの内海であった。日本武尊熊襲御征伐の帰途、臨幸の神跡の霊地である。第三十九代斉明天皇亦此の浅木山に御船を寄せ給う。この御代より祭鎮し奉る古社である。
足利将軍義満筑紫下向の砌り、執事細川頼之を以て幣帛を捧げ武威を祈り、足利家より社地領三町三反歩を寄進された。(六百年前)又周防の国主大内義弘、大内義隆相続いて社殿を建立し社地を献じた。然しながら豊後大友氏の為に宝物、縁起類多数奪取せられると共に元亀三年社殿兵火に罹り焼失、其の後仮に小社を建つ。元和八年里民修覆を加へり。(三七六年前)黒田侯筑前を領し、明治維新まで七代の国主は社参を致され祈願を命ぜられている。
昔時は東光寺、西光寺、真光庵等天台の三坊を構へて別当者増あり。大官司に付属せり。東光寺、真光庵は二百余年前に廃亡し、独り西光寺のみ浄土宗に改宗して浅木にあり。
社地境内は山勢偉抜ならねど頂上平坦にして社殿あり清閑、周囲は古楠老杉老檜槙その他の樹木鬱蒼として枝を連ね社殿の左右に末社石燈籠、神輿舎あり一見粛然として畏敬の念を起さしむ。」 |