2,420
高倉神社参道橋

2007.02.04


遠賀郡岡垣町大字高倉

橋長:4.0m
橋幅:3.0m
桁12列
2径間桁橋





高倉神社御由緒
「当社は国史所載の古社にして第十四代仲哀天皇八年正月己卯朔壬午筑紫に行幸し給ひし時、岡の縣主の祖熊野周防婆歴浦に参迎え海路を導き山鹿岬より巡りて岡の浦に入らむとし給ふ。時に神異あり天皇勅して挟抄者倭国菟田の人伊賀彦命を祝部としめ給ふ。神功皇后摂政二年五月午の日に此の地に神祠を建て神田千町を以て定めらる 即ち大倉主命菟夫羅媛二神の本宮なり古来武人の崇敬厚く年中三度の大祭には在應の官人をして祭儀を監察せしめられ武家執政の後も検使を遣して祭儀を援けしめられき天文五年九州探題大内義隆公社殿の造営ありしも永禄二年大友宗麟の兵火にかかり壮麗なりし社殿も貴重なる社宝と共に烏有に帰せしが天正十五年国主小早川隆景公之を再建 慶長十八年黒田長政公梵鐘及び鳥居の献納あり 爾来歴代の国主神田神山を寄進して崇信の念殊に厚く宝暦元年旧遠賀郡の惣社として定めらる 明治五年十一月郷社に列せられ大正九年縣社に昇格す 現今の神殿幣殿は明治九年田遠賀郡の造営によるものにして古は神傳院千光院綜智院勝業院正覚院の六坊あり 又社家五家巫女四家ありしも明治初年同時に廃せらる 境内には御神木として杉楠松楓柳の五樹ありしが今は神功皇后御親裁と傳へられる綾杉と楠のみ残せり」
正面

側面

内部

上部
神社側から