玉雲山龍昌寺
「岡城を築城したと伝えられる麻生家延の孫麻生弘繁の開基で 長門国深川の大寧寺八世足翁永満禅師が開山。1490年頃の創建と思われる。
麻生弘繁の子隆守は天文15年(1546年)に大友の家臣瓜生貞延に攻められ、内浦の海蔵寺で自刃した。その後瓜生貞延が岡城に居住し支配したので、龍昌寺は衰微した。
慶長5年(1600年)に黒田長政が筑前国に入り、守りを固めるため国内に六つの城を築き武将を配置した。そのうち井上九朗右衛門周防之房(井上道柏・井上周防 以下井上周防)は豊前方面に対する備えとして黒崎城を築き、八幡、遠賀一円を領地した。
井上周防はもともと信心深く禅門に入っていたが、閑寂、幽遠の龍昌寺を愛し、ここを菩提寺に定め元和3年(1617年)に再興した。」 |