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老松神社参道橋

2007.01.14


小郡市上岩田

橋長:3.3m
橋幅:2.4m
2径間桁橋




老松神社(老松宮)
由緒
「この老松宮はもと上岩田、井上、下岩田の氏神であり、この神の鎮座地を昔は神磐戸と称していた。上岩田の地名は、神磐戸から神磐田、上岩田と変わったのであろう。大昔、神功皇后が秋月の羽白熊襲を征伐せられ、次いで筑後国、山門県の田油津姫を滅ぼそうと、津古から舟にて得川(宝満川)を下られ、この神磐戸にお着になった。今の老松宮は当時の行在所の跡で、その御駐輦の折、武内宿祢をして、御剣を祀らしめられた。その不動石が境内にあったが、現在は不明、又境内に大岩窟があったが、正保年間(1644)これを破壊し、その巨石を稲吉堰の築造に利用したので、今はその跡があるだけである。
 昔の社殿は後三條天皇の延久2年(1070)上岩田の庄領家菅原氏の造立でその後高橋城主の高橋氏、肥前の筑紫氏等によって再建され、御原郡の総社と仰がれた由緒ある神社で、宝物等数多くあった。天正14年(1586)島津勢が筑前に攻め上がる際、兵火にかかり神殿末社、社宝文献等ほとんど焼失し、僅かに獅子頭、火王面が残っているだけである。その後寛永年間(1624)、文化年間(1804)に再建され、今日に至っている。享保年間(1716)までは毎年9月19日、附近11ヶ村民相集って、盛大な神事が営まれ、大板井の地まで御神幸があっていた。明治6年に村社に列せられた。
 尚、境内の中島にある五重の塔は、元徳2年(1330)岩田の庄の領家、地頭直人が、天長地久祈願のため建立したものであり、又一の鳥居は寛文3年(1663)造営である。昔は神田も数多くあったが、今は地名(火王田、彼岸田、神楽田・・・等)として残っている。大正5年、井上の古北神社を若宮八幡宮に合祀した。」

昭和55年10月16日
神社総代一同
正面

側面

神社側から

内部

上部