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直方歳時館の石橋1

2012.03.10


直方市新町1丁目

橋長:m
橋幅:m
2径間桁橋




直方歳時館 旧堀三太郎邸跡【経済産業省認定 近代化産業遺産】
「貝島・麻生・伊藤・安川と並んで、筑豊の五大炭鉱主の一人と呼ばれた堀三太郎(1866〜1958)が、明治31年(1898)に建てた壮大な木造建築による邸宅が、この直方歳時館です。以降、福智山を借景とする高台で、この建物は20世紀の直方の歴史を見続けてきました。
 掘氏は昭和16年(1941)、土地と家屋を維持費つきで市に寄贈しました。
その後、『堀クラブ』『直方市会館』と改称後、昭和27年(1952)から昭和54年(1979)まで、『直方市中央公民館』として使用され、結婚式場やナイトスクールの教室など数多くの市民に親しまれました。
 平成9年(1997)から復元工事が開始され、装いも新たに11年4月に和風生涯学習施設『直方歳時館』として往時の姿を今に伝えています。
 江戸時代中頃(1700年頃)の直方陣屋城下町
 元和9年(1623)、福岡藩主黒田長政は、遺言で四男高政に4万石を与え支藩を開くよう命じました。その場所がここ直方の地で当初は東蓮寺と呼ばれていました。
 東蓮寺藩には中老2人、馬回組33人の幹部を中心に、無足組、城代組などの下級武士が数百人いたものとみられます。寛永3年(1626)に町割りが行われ、およそ現在の古町・津田町・殿町にあたる市街地が形成され、商店が建ち並びました。なお、東蓮寺藩の最初の陣屋は現在の双林院の場所に設けられました。
 延宝3年(1675)には東蓮寺は直方に改められましたが、延宝5年には3代藩主黒田長寛が福岡薄を継ぐことになり、直方藩は一時家臣の明石助九朗があずかりました。元禄元年(1688)福岡藩三男の黒田長清が直方藩の4代藩主となり、5万石に加増され御館山に新館を造営し、新町、門前町を開きました。しかし、長清の嫡男が福岡藩の養子となったため、享保5年(1720)長清の死とともに直方藩は100年の歴史の幕を閉じました。
歴代藩主 初代 黒田高政1623年〜1639年
     2代 黒田之勝1640年〜1663年
     3代 黒田長寛1663年〜1677年
     4代 黒田長清1688年〜1720年」
momomamaさんのブログに紹介されていた直方歳時館の石橋

庭園に2基架かっています

南側の1基

「ゆたっ〜と直方節句まつり」でひな人形が飾ってありました