4,445 鎮懐石八幡宮壱の橋 2009.08.30 |
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糸島市二丈深江 橋長:2.6m 橋幅:2.0m 桁5列 単径間円弧桁橋 |
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鎮懐石八幡宮由緒 「鎮懐石八幡宮御實記を始め、古事記、萬葉集の鎮懐石を詠める歌、などによると、神功皇后(息長足日女命)は應神大皇を懐妊しながらこの地を通って、朝鮮半島へ兵を出された時に、卵形の美しい二個の石を求めて肌身に抱き、鎮懐として出産の延期を祈られたのであった。願は叶って帰国後宇美の里で、應神帝をご安産された。 そこで、神功皇后が経尺の壁石を、子負ケ原の丘上にお手ずから拝納されてより、世人は鏡懐石と称してその奇魂を崇拝するようになった。 昔は、深江字津ノ上の石垣で築かれた高台に、ご社殿があり、数百年の年輪を刻んだ大きな松の木々が鬱蒼と生い茂っていたが、場所が狭く祭典にも不便を来していたので、昭和11年(1936)に南側山手の、字萩ノ原の、広い土地にご遷座し、幣殿、拝殿などを新築した。 拝殿の床板は、85センチを超える幅の広い船坂が使われており、当時この周辺にも大きな松の木々が多かったことを物語っている。 古い歴史の重みを感じさせる大きな松の木も、昭和25年(1950)頃から、松食虫の被害が広がり伐採されて寂しくなった。 安政6年(1865)、6月に建てられた九州最古の萬葉歌碑で、書は、豊前中津藩の深江在住の儒学者、日巡武澄である。 文化11年(1814)に建てられた碑で、鎮座の由来を書いている。文は亀井南冥の高弟、苓州江上源伯、書は、福岡藩の藩医であった、米山上村樗という人である。」 |
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6月末、唐津街道を歩かれているmomomamaさんから石橋があったと連絡がありました |
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側面 |
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東側 |
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境内から |