猫城跡
「猫城は、室町時代に麻生氏の端城として築かれたといわれ、その城跡には、現在、月瀬八幡宮の社殿があります。
城跡の丘陵は、高さ約20メートルの円錐状で、すそ野には水壕の名残りがみられます。
山鹿城の麻生元重と宗像大宮司氏貞は、数度の合戦に及ぶも決着がつかず、天正6年(1578)、遠賀川の東は麻生領、西は宗像領となります。氏貞は、家臣吉田倫行に雑兵150余人をつけ、猫城に配属します。
天正8年5月、豊後の大友氏(立花道雪の説もあり)の指令を受けて、鷹取城主毛利鎮実が攻め込みますが、宗像勢は激戦の末、これを打ち破っています。頂上からは、遥かに宗像、鞍手、遠賀が一望され、要塞の地であったことが想像されます。
「猫城」の名の由来は、定かではありませんが、“猫が背を丸めた姿に見える”とか、“敵が改めて来れば高くなり、城より攻め下るときは低くなり、まるで猫のようだ”との言い伝えがあります。」
中間市教育委員会
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